人からもらったものや、思い出の品を手放すのは難しいですよね。
思い入れがあるし、あとで同じものを手に入れることはできません。
私にもそんなものがあり、何年も決断がつかないまま、使わずに持っていたものがあるんです。
11年前に結婚した時に、父が新居に持ってきてくれたカーペットです。
その父は4年前に亡くなりました。
その直前まで、カーペットを輸入する仕事をしていました。
これはベルギー製で、どっしりと重く、触ると質の良さがわかるカーペットでした。
これを手放すのに、ずいぶん時間がかかりました。
子どもが生まれて、カーペットは使わなくなる
子どもが生まれてからは、食べ物や飲み物をこぼすので、カーペットは丸めて使わなくなりました。
その期間、8年くらい。
片すみと言っても、4.5帖分くらいの大きさがあるカーペットなので、丸めていてもかなりの存在感。
引っ越す時も捨てられずにそのまま持ってきて、結局使うことなく部屋の隅に立てかけたままにしていました。
部屋に入って、目に入るたびに、
「どうしよう」「いつか使うかな」
と思っていました。
使い切れていない罪悪感と戦う
そのカーペットを見ると、真夏の暑い日に引越しを手伝ってくれた父の姿を思い出すんです。
汗をかきながら、一人暮らしの私の家から家財道具を運んでくれて、新居のマンションに運び入れてくれました。
「ただのカーペット」ではなく、「亡くなった父の思い出があるもの」だったので、手放す決心がなかなかつかず、後回しにしていたんです。
でもカーペットを見るたびに
「どうしよう、今は使う場所ないし・・・」
ちゃんと使い切れてない罪悪感を感じていました。
懐かしい気持ちにもなるけど、同時にちょっと心苦しい。
そんな複雑な思いをずっと抱えていました。
処分以外の道を探る
亡き父からもらったものであるということ、(たぶん)品質がよいものであることを考えると、「処分する」よりも、誰か使ってもらえそうな場所を探そうと思いました。
まず電話したのが、リサイクルショップ。でも、
「使用したじゅうたんは、引き取れない」
と断られました。
イケアに行った時、使わなくなったカーペットを無料で回収してくれるコーナーを見つけました。
でもうちの車に載せられる大きさではなく、断念。
身近な人で大きな絨毯のもらい手を見つけるのも難しく、残すは「処分」となりました。
ものがなくても、思い出は残る
いざ「処分しよう」となっても、具体的に動き出すことがなかなかできませんでした。
結局写真を撮って、粗大ごみ券を買って、すぐに回収の予約の電話をしました。
一気にやらないと、またずるずる決断を先延ばしにしてしまう可能性があります。
こうしてようやく、市に回収してもらいました。
でも考えてみれば、カーペットがなくなっても、父のことを忘れる訳ではないんですよね。
夏の暑い日に引越しを手伝ってくれたことも、この先ずっと記憶に残るでしょう。
実物がなくても、思い出はいつまでも心の中にあります。
モノは、思い出を思い出す「きっかけ」にすぎないんです。
そう考えると、「モノ」を残すことにこだわらなくてもいいんだと思えます。
思い出は心の中に
人からもらったもの、思い出のあるものは、特に手放すのが難しいですよね。
でも意外と贈った人は、覚えてなかったりするもの。
父も、たまたま仕事で使わなくなったカーペットを、うちに運んだだけのような気もします。
何年もかかりましたが、ようやく手放すことができました。
こうして写真を見れば、いつでも思い出せます^ ^
手放した今、心が軽くなりました。
部屋もすっきりしました。
捨てにくいモノは、無理に捨てなくて大丈夫。
時間が経つと、心の準備ができます。
そのときは写真を撮って、気持ちよく手放せばいいんだと思います。
そうやって暮らしをシンプル&ミニマルにしていきたいです。
本日もお読みくださり、ありがとうございます♪
ブログ村に参加しています。
↓応援クリックお願いします!